春によるさざ波
――それは青空を閉じ込めた鳥が、雪の中に溶けている光景のようだった。
その世界に感嘆の息を吐き、それからすぐに口を閉じた。白銀の中で羽ばたくその鳥に、マリーは驚かせない様に静かに近づいていく。ヒールで音を立てず歩く事に神経を集中させ、ゆっくりと指先を伸ばした。
けれど、それよりも先に雪原がふわりと揺れ動く。あ、と声を発したのはどちらともなくだ。お互い顔を見合わせている間に、小鳥は雪の上を飛び、そのまま彼の指に降り立った。
アイスブルーの瞳がマリーの姿を確認すると椅子から立ち上がり、空席だった隣の椅子を後ろへと下げる。
青年は端然として、けれど、少しだけ顔を綻ばせてマリーを見つめていた。
シャルル=アンリ・サンソンはこうして英霊となった今でも、マリーのことをフランス王妃として敬うのだ。もう立場は関係がないと告げても、こればかりは変えることがないだろう。霊基に刻まれているその信念が、サンソンを処刑人として、アサシンとして限界させている。
「どうぞ、マリー」
――サンソンは少し遅れた昼食中だったのだろう。彼の席には色とりどりの野菜が踊っているサラダボウルとベーコンとレタスを挟んだサンドイッチが置いてある。それからひとつ、ずいぶん小さな皿の上に米粒の様な物が乗っていた。不思議に思いそのミニチュアを見つめている間に、サンソンの手から小鳥がゆっくりとその小皿へと歩いていく。
「まあ、あなたのランチだったのね!」
マリーは椅子に座り小鳥の様子をじっと見ていたところで、ふわりと漂うダージリンの匂いに顔を上げる。それは目の前に音を立てずに置かれたティーカップからしている様だ。サンソンがいつの間にか紅茶を淹れてくれた事にも気付かずに、小鳥の様子に夢中になってしまっていたのだと気づき、ごめんなさいねとサンソンに言えば、彼は「当然のことをしただけだよ」と首を横に振るだけだった。
これ以上のやり取りは意味を成さないのだと知ってしまっている。マリーがサンソンに渡すべきものは笑顔とお礼の言葉なのだ。
「紅茶をありがとう、サンソン。ところで、こちらの愛らしい小鳥は?」
――このストーム・ボーダーに存在するという時点でただの鳥ではないのは分かっている。そうだとしてもサンソンと小鳥の組み合わせはあんまりにも斬新かつ新鮮だったので、つい根掘り葉掘りと聞いてしまうのだ。
サンソンはランチタイム中の小鳥を一瞥すると「紹介するよ」と頷いた。
「この子はロビンの――ロビンフッドの飼っているコマドリだ」
まあ、とマリーは口元を手で覆い隠し、まじまじとその小鳥を確認する。青空の中に浮かぶ小さな星々。その様な鳥をマリーは生涯見た事はなかったが、カルデアに来てからは不思議なものばかりに触れてきた。
ロビンフッドの事はマリー自身は詳しくない――イングランドの物語に出てくる義賊として知識はあれど――このカルデアで邂逅したロビンフッドとはすれ違ってばかりなのだ。
それでも戦闘で何度か同じ編成になった事はあり、記憶を遡ってみれば確かに彼の腕に留まっていた鳥もこんな青に染まっていた。
これで愛らしい鳥の正体には納得したが、今度は別の疑問が浮かんでくる。
「どうしてロビンさんの小鳥をサンソンが?」
マリーが首を傾げると、サンソンは紅茶を飲みながらため息をついた。
「……彼は今日、戦闘メンバーに入っていたんだ。僕は今日医務室の当番だったからね。注意事項を告げていたら、途中で集合時間だなどと言ってこの小鳥を僕に任せて管制室へと向かって行ってしまったから」
その背中を見送りながらどうしようか悩んだものの、結局医務室で小鳥と過ごしていたのだろう。黙々とカルテと患者を見つめるサンソンの頭上で羽根を休めている青いコマドリを想像すると愛おしさすら覚える。
ふふ、とマリーがおもわず笑いをこぼすと、サンソンは瞬きを繰り返して不思議そうにしている。マリーが「コマドリさん」と呼びかけても反応はせず、青いコマドリはふわりと飛び立つとそのままサンソンの肩へ移動した。
「あら、振り向いてもらえなかったわ」
「すまない、マリー。……気まぐれなコマドリでね。ロビンも手を焼いている様子だったけれど、流石に彼のように使い魔には出来ないから」
コマドリはそのままサンソンの肩の上でワルツを踊るように、ゆるゆると体を動かしている。
「――貴方のことが好きなのね、コマドリさんは」
サンソンは紅茶を飲むのをやめて、目を細めた。マリーの発言に対して、否定も肯定も出てくる事はない。その穏やかな小波が彼の心を揺らしているのだろう。マリーはサンソンが用意をしてくれたティーカップへと手を伸ばした。
シュガーは一粒、ミルクは多めに。それらをティースプーンで混ぜながら、少し甘い紅茶の味を想像すると幸せが溢れてくる様だった。マリーは子供のように戸惑うサンソンを横目に、コマドリに微笑む。コマドリはマリーの笑顔などものともせずマイペースにサンソンの肩で過ごしていたが、突如、からからから、と鳴いたかと思えば、小鳥はサンソンから離れて食堂の中を滑空した。
星の鳥が飛び立つ姿にサンソンもおもわず身体ごと振り向けば、その先にいたのは一人の男だった。そのコマドリの行動は納得のいくものだった。星は本来の居場所へと戻ったのだ。コマドリを肩に乗せた男はサンソンとマリーの元へと歩いてくると、これはこれは、と飄々とした口振りで告げる。
「逢瀬をお邪魔しちゃいましたかねえ」
ロビンの言葉はほんの少しの棘が隠れている様だ。マリーだけではなく、サンソンも同じ様に感じ取ったのだろう。眉を顰めながら口を開けたサンソンだが、直ぐに表情が変わる。
「ロビン、君、怪我をしてないか?」
「お、目敏いな。アンタ、アーチャーの素質あるかもしれませんよ」
あっけらかんと言う彼の表情はマントで顔が隠れていて分からないが、彼の右手の甲からは確かに切り傷が見えている。サンソンは「医者に見せろ!」と声を張り上げた。
「いや、医者はアンタでしょ……姿が見えなかったんでわざわざオレがここまで来たんですよ」
サンソンはロビンの傷を確認しながら「応急処置だ」と早口で告げながら手を翳した。おそらく治療スキルを使ったのだろう。光に当てられたロビンの傷はみるみると血が固まっていく。
「……医務室は二人体制だ。アスクレピオスがいただろう? それにナースも」
「は? あの医者の神様に手の切り傷だけ見せに行くなんてことしたら、どんなクソめんどくせえ反応が返ってくるかは坊ちゃんが一番わかってますよね!?」
テンポよく続く会話を聞きながら、マリーは紅茶を飲む。よくよく机の上を見れば、サンソンはマリーのティータイム用にカヌレまで頼んでくれていた様だ。そのカヌレを二つ両手で持つと、マリーはそのままカヌレを二人の口元に押し込んだ。ふぎゃなんてすこし可笑しい声に「ごめんなさいね」とスカートを少し上げて、コマドリを見つめた。そのやわらかな木々の色と目が合い、彼女はうつくしい唇から音を震わせた。
「雪の中で飛ぶコマドリ、とても可愛らしくてよ」
カヌレをどうにか飲み込んだロビンだったが、マリーの言葉で「は?」と呆けて、左手に持っていた煙草を落とす。そしてサンソンはタバコが床に落ちた瞬間に、無言でブーツで潰した。その連携を褒めるべきだっただろうか。しかし、ここは火気厳禁なのだ、料理長に気付かれては三人共々叱られてしまうだろう。
は、と気づきた時にはもう平らに潰れていた煙草をうらめしげに見ているロビンの手を取り、サンソンは申し訳なさそうにマリーに頭を下げる、
「マリー、すまない。僕は彼を連れて戻ろうと思う」
「ええ。サンソン、今度またティータイムをしましょう! その時は、聞かせてね」
手を振って彼らを見送る。何かを言い合いながら二人揃って食堂を出ていくその背を見つめながら、瞼を下ろした。
「コマドリが歌う恋の歌は、どんな歌なのかしら」
雪が溶けてあたたかな春を告げる様に、やさしい歌だといい。
マリーは星を秘めたコマドリの鳴き声を想像して「すてきね!」と歓声を上げた。
◇
かつん、とサンソンのブーツの音が廊下に響く。スキルによって処置はされたものの、ここからは傷が残らない様にと医務室で本格的に手当てをされるのだろう。
(……とは言っても、霊基を修復すればすぐにこんなもん消えるんだけどな)
いままで何回この右腕が吹き飛ばされてきたことか。けれど、霊基を修復すれば腕が千切れたはずの自身の身体が元通りになるのだ。何度目の生えた右腕だったか、と思い出そうとしていたところでロビンの肩からコマドリが羽ばたき、何故か突然目の前のサンソンの頭部に向かって突撃した。
「うおっ!?」
「〜っ、さすがに、いた、っ、い」
サンソンは歩みを止めて、その場に蹲り自身の後頭部を摩る。ロビンはいまだに何度も突撃するコマドリをひっ捕まえて「どっか行って来い!」と空中へと投げ飛ばすとコマドリは不満を訴える様にロビンの頭上でくるくると周回していたが、それにも飽きたのか高速でノウム・カルデアの廊下を飛んでいった。
「……ロビン、飼い鳥には優しくするべきだ」
サンソンの冷ややかな視線に、そうじゃねえだろ、とロビンはずっこけそうになるのを抑えながらしゃがんで彼の後頭部を目視する。
流血もなさそうだし、たんこぶも見当たらない。サーヴァントという存在は丈夫なものであるのは分かっているが、こればかりは念のためだ。
斜め上の発言はあるが本人の意識もはっきりとしている事は確認出来たので、ロビンは力を抜いてサンソンに付き合う事にした。
「飼ったつもりはねえけどな。まあそんなのはいいんですって。嘴が直撃してましたけど大丈夫なんで? アンタがアスクレピオスに見てもらわなきゃならないんじゃ?」
コマドリにエクストラアタックされたサンソンは平気だと首を横に振る。そのまま立ち上がり、医務室への道とは反対の廊下へと足を動かしていく。
ロビンは「サンソン」と名前を呼んだ。
サンソンは「なんだい」と振り返った。
その廊下の先にあるのは細々としたものが押し込められた倉庫のはずだ。医務室に戻るものだと思っていたロビンが何も言わずにいると、サンソンはそのロビンの戸惑いに寄り添う為にこちらへと戻ってきた。
「……最初に見た時は焦ってしまったが、それぐらいなら医務室に行かなくても僕でどうにか出来るよ。こちらの倉庫にも予備の道具はある筈だ」
「いいんです?」
――そんな事をして、そんな行動をして、そんな期待を持たせる様な事をして。
感情が入り混じるその問いにサンソンは頷いた。
「いいよ」
――そんな事をしても。その行動に期待してくれても。
サンソンはロビンの頬に手を伸ばす。
「……以前までならばきっと隠していただろうに。こんな小さな傷を僕だけに見せようとしてくれた君の好意を無碍にする程、僕は嫌な奴ではない筈だ。そうだろう?」
「それは嫌な奴だろ! そういうの口にするなんてデリカシーの欠片もねえ!」
サンソンは肩をすくめて、ロビンの顔を眺めながらやわらかな笑顔を浮かべたままだ。
「じゃあアスクレピオスに見せにいってもいいが? 僕も一緒にいれば、さほど酷い事にはならないさ」
「ほんとにデリカシーがありませんわ……」
なんとも頭の悪いワルツを踊っている気持ちにさせられる。ぽんぽんと飛び交う嫌味の応酬がいつの間に心地良くなっていたのだろうか。
(……もうずっと前だな。明確な瞬間は忘れちまったけど)
二人ともなく歩き出していた。奥に進めば最低限の電力しか通ってない薄暗い倉庫しか無い事は知っている。
その薄暗い倉庫で、自分たちらしいロマンも、デリカシーもない逢瀬を重ねればいいのだ。
※コメントは最大5000文字、5回まで送信できます