骨が軋むほどの餞を君に
とん、とん。小さな足踏みの音で左之助は瞼を薄らと開けた。ベッドの縁に座ってどうやらスニーカーを履いているらしいその背中に向かって手を伸ばせば、突然の事で反応出来ずそのまま左之助の胸板へと青年は倒れ込む。わ、と声を上げた彼は、ガラス玉の様な丸い瞳を更に大きく広げて少し困った様な顔で佐之助を見上げた。
「……原田さん、起きたんですか?」
恋人である――ここでは語る予定はないが紆余曲折があった上で、兎に角大事なのは両者同意だということだ――平助は少し気まずそうにしている。左之助を起こすつもりはなく、気づかれない様に静かに部屋を出ていくつもりだったのだろう。平助は閨を共にしている事を人に知られたくないのか、こうして早朝に布団を抜け出そうとするのだ。最初はその心情を汲んでいたが、最近はこうして離れようとするのを縫い留めてしまう自分がいた。
(……あいつらが何か言う訳でもねえ、なんて平助にはまだ難しいか)
平助の義手を指先で突くと、彼はぱちぱちと瞬きを繰り返して「なんなんです?」と訝しげな顔を見せた。京の街で今牛若とまで例えられた程に見目が雅やかなこの男は、本来はころころと表情を変える。その素顔を見せる相手は限られており、その中でも自身は特別な立ち位置であると自負していた。
冷たい義手の指を一本ずつ撫ぜていると、もどかしくなったようで身体を捻らせて平助は左之助の指から離れようとする。綺麗な形をしてる眉を吊り上がらせて左之助の視線から逃れるように顔を背けた。
「僕、もう行きますね。原田さんはまだ寝ててください」
何も答えない左之助に拗ねてしまった様だが、この状況でみすみす手放すつもりはない。
「拗ねんなって」
平助の顔を両手で包み込み、自分の方へと向けさせるとそのまま不満気に尖らせてる唇をぺろりと舐め上げた。平助の身体が大袈裟なぐらいに跳ねて、見る見るうちに顔が朱に染まっていく。昨夜の余韻が残る身体を震わせる顔を見せるのは原田左之助だから許されているという事実は、確かに左之助の心に暖かさをもたらすのだ。
真っ赤な頬が美味しそうで軽く食めば、平助の手はシーツを握り締める。その光景を直視した瞬間に無意識に喉が鳴って、左之助は平助の柔らかい耳朶を舌でなぞっていく。これが快楽であると本人の心よりも理解している身体は素直なものだ。
左之助は一度両手を離し、くたりと力が抜けている平助の身体をシーツの上に寝かせる。平助がふうふうと息を整えようとする間に、自身は起き上がってベッドの上にあぐらをかく。そしてだらりと倒れ込んでいる平助を向かい合うように自分の膝の上へと座らせた。
そのまま平助の身体を抱き寄せると、平助はすぐに飛び上がる。左之助の熱を持った陰茎を布越しに触れた事に何度も視線を下げて確認して、それから左之助の腕から抜け出そうとする。どんどんと胸板を叩くが、先程まで快楽に溺れていたため弱々しくなった力にいっそ微笑ましささえ左之助は覚えていた。
「なんで、なんで、勃ってるんですか……! 昨夜散々しただろ!」
「好きな奴が自分の前で痴態を見せつけてきたらそりゃこうなんだろ」
ふるふると平助は身体を震わせる。小動物みてえ、と左之助が屯所によく顔を出していた白い野良猫を思い出していると、その白猫の如く毛を逆立てて平助は声を震わせた。
「ち、痴態なんて見せてない!」
――新撰組の隊士達の遊びといえば専ら酒か女だ。原田左之助は前者だったが、藤堂平助は根が生真面目であると同時に性行為に対しての忌避感が強い男であった。それは恐らく平助の生い立ちがそうさせているのだろう。
本人から直接聞いたわけではなく、幕府から潜入する前にと知らされた情報の一つに藤堂平助の名も記されていた。平助はとある藩主が妾にすらなれない女に手を出した結果だったのだ。だからだろう。芸者と遊ぶ事にも良い顔をしてなかった平助が、男の煽り方など知る由もない。
こんな風に溺れさせているのは自分なのだと気づいてしまった時にはもう駄目だった。うん、と頷いて「お前がそういうならそれでいいけどな」と流してやる。左之助は良い大人なのでこれ以上平助を怒らせるよりも前に、蕩けさせる事に集中するために平助のジャケットを結んでいる紐の輪に指を伸ばした。
平助は慌てて左之助の手首を掴み、大きく頭を横に振る。
「朝からはいやだ!」
「朝には差し掛かってないからいいんじゃねえか?」
「屁理屈だ!」
屁理屈をこねているのは果たしてどちらなのだろうか。平助の小さな抵抗を受け止めながら横目でデジタル時計(なんともまあ便利な世の中である。一目で日付と時刻がわかるのだから)を確認した。
――四時半は深夜にも早朝にも属さない中途半端な時間だが、身体を交えていれば朝食は間に合うだろう。
左之助がちらりと横を向いたのに釣られたのか、平助も同じ様に時計を確認していた。朝と言い張りにくい時間帯である事はわかっていた様で、へにゃりと眉を八の字にして何か唸っている。
「平助」
この四文字が恋しさを生み出すのだから恐れ入る。平助の臀部に手を伸ばし、ぴったりと身体がくっつく様にさせてやれば平助は覚悟を決めたのか目を細める。
「く、口付けだけなら」
「………………それで俺が止まれると思ってんのか、お前」
その初々しい返答におもわず頭を抱えてしまった。直に触らせてやろうかと真剣に寝間着を脱ごうか否か悩んでいたら、平助は左之助を見上げてこう告げる。
「今日は僕も原田さんもレイシフトの編成に入ってるんだ。万が一があったら嫌です。マスターの足を引っ張るのは僕の意じゃない。……レイシフトが終わってからなら、幾らでも」
サーヴァントとして限界した自分たちにとって、契約したマスターの存在は大きい。その単語を出されてはぐうの音も出ず、平助の射抜くような目を見ては左之助は「おう」と頷くしかなかった。
お預けの形にはされてしまったが、少なくとも口付けは許されているのだ。平助は忘れてしまった様だが、この小さな唇は左之助が一から指南して口付けの仕方を覚えさせたのだ。つまりは平助の唇の快楽は左之助が握っていると言っても過言ではない。
無論戦闘に支障が出ない様にはするつもりだが、それなりには懲りさせるべきだろうか。男を我慢させるならしっぺ返しは覚悟してもらわなければならない。
そんな事を考えている間に、平助はゆっくりと瞼を下ろして左之助の胸板に手を置く。彼の長い睫毛がきらきらと光っている様にすら見えて、引き寄せられる様に唇は落ちた。柔らかく、すぐに離れてしまう様な触れ合いだった。そんな短い時間では満足が出来ず、左之助はまたその唇へと落ちていく。触れて、離れて、繰り返していくたびに触れている時間が増えていく。いっそ二人溶け合えたらよかっただろうに。
ちら、と自分の膝の上に座る平助の顔を見つめる。ん、ん、と吐息を漏らす姿に己の喉が鳴るのを自覚し、それでも平助の意見を尊重すると決めたのだからこれ以上手を伸ばさずにただお互いの境界線が溶け合うほどにくっついてるだけに留めるしかない。
菩薩か何かかもしれない。この瞬間の自分は。
(……織姫と彦星って一年も我慢出来るのかよ。我ながら我慢の出来なさが際立つ)
そんなどうでもいい事を考えて――でも結局性欲の話に結びつく様な煩悩の塊たる男の事を、平助は些か買い被りすぎなのだ。
※コメントは最大5000文字、5回まで送信できます