地獄まで来て困らせないで
「アマデウス、飲み過ぎだろう。流石に王妃に報告をせざるを得ないのだが?」
「マリアは笑ってくれるから、その報告は時間の無駄だぜ?」
デオンの呆れ声と反対にアマデウスはけらけらと楽しそうに笑っている。サンソンは彼の足元で空となった酒の瓶を見つめて、ひとつふたつ、と数えながら「呆れたものだ」と眉を顰めた。そんなサンソンの声は喧騒によって消えて行く。
日中はカルデアの職員とキッチンの主となるメンバーしかいないこの食堂だが、夜になれば宴会会場に切り替わってしまう。勿論キッチンの中にまで入り込んでしまおうものなら、投影されたカラドボルグが飛んでくる。酒に飲まれたとしても皆その見極めだけは完璧にこなしながら、夜な夜なこの騒がしい時間を過ごしていた。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはただ酒を愛しているという訳ではなく、この騒々しさが人々の声で出来ているという一点だけで食堂に顔を見せている――その為ならばこうして楽しくお酒を飲んでいる姿を自らも提供しなければ、などと言って王妃に「アマデウス、それは言い訳ではなくて?」と楽しげに首を傾げられていたのはいつの事だったか。
デオンとアマデウスの会話を音楽代わりとして、サンソンは横たわっている酒瓶を拾い、一つずつ食堂のカウンター前に並べて行く。
幾多の英霊達が集うノウム・カルデアとは言え、彼らも酒が入ると少々様子がおかしくなる。そのような時は、だいたい医務室が忙しなくなる事が多いのだ。出来る事ならば医務室に通う回数は少ない方がいいだろう。大きな声で下品な単語を並べているアマデウスを横目にサンソンは黙々と瓶を設置していると、ふと耳元にからんと氷同士がぶつかり合う音が聞こえた。
「……ロビンかい?」
「ご名答。坊ちゃん、さっきから何してるんですか? そんなもん並べてボウリングでもやる気で?」
皐月の王を外しながらグラスを片手に近づいてきたロビンに、サンソンは首を横に振った。
「始めない。誰かが怪我をしたらどうする」
「瓶の破片で怪我して倒れるようなサーヴァントは座に帰るべきじゃないですかねぇ……」
その言葉でサンソンも少し考え込んだが、このノウム・カルデアには子供の姿をしたサーヴァント達も存在するのだ。大人として手本を見せねばならないだろう。
「いや、やはり駄目だ」
そう結論を出せば、ロビンは手に持っているグラスをからからと揺らして「知ってましたよ」と肩をすくめた。
木々の間から光が垣間見える。そんな木漏れ日のような色がサンソンを視線を逸らさずに見つめている事に気づく。見える範囲の酒瓶は並べてしまい、手持ち無沙汰のままロビンを見つめ返すしか出来ない。
周囲はサンソンとロビンの二人を置いてけぼりにしてあんなに楽しげにしているが、自分たちは黙り込みながらどうするべきかお互いの様子を探り合っているのだ。
(……彼の方がまだ余裕がある様に見えるが)
ロビンは空いている左手でサンソンを呼び込む。サンソンは瞬きを繰り返した後に首を傾げながら、彼の左隣へと迷い込んでやればロビンは破顔した。普段は余裕綽々の雰囲気を崩そうとしないのに、瞳を細めてこちらを見る顔は子供が親に手を伸ばすように無邪気だ。
この事を指摘すれば、きっとこの柔らかなほほえみはいなくなってしまうだろう。それはなんだか勿体無いと心臓が訴える。サンソンはただ黙ったまま、彼が右手で持っているグラスへと視線を逸らした。
からり、からり。氷と氷がぶつかり、チョコレートの中へゆっくり溶けて行く。
「……ココアかい?」
この場でそんな物を飲む訳がないと分かりつつ問うと、ロビンは「まさか」と首を横に振った。
「カクテルです、立派な酒だ。味だけならジュースみたいなもんですけどねぇ」
チョコレートリキュールをミルクで割っただけのジュースですよ、と男はグラスを揺らしている。その説明にサンソンはロビンの持っているカクテルを凝視し、ロビンの顔へと視線を向けて首を傾げた。
「君、ビールの方が好きだろう? どうしてカクテルを飲んでいるんだい?」
「あ〜、それな……さっきまでモリアーティのところでヘルプに入ってたんすよね。で、注文のミスで余らせた奴を駄賃代わりにって事で」
「それはお疲れ様だったね」
先ほどまでバーの方は長蛇の列だった事を思い出し、苦笑いをしながら疲れ切ったロビンに労いの言葉をかける。ロビンも疲労を隠す事はせずに目を細めながらグラスに口付ける。勢いよく減っていくそのカクテルに目を奪われていると、グラスから口を離したらロビンがサンソンの方を振り向いた。
「坊ちゃんも飲みます? アンタ、あんまこういうところ来ないでしょ。飲んでる所そんな見ないんで新鮮ですわ。つーか、今夜は何しに?」
「アマデウスに用事があったんだが、姿が見えなくてね。デオンと探しにきたんだ。どうせここだろうと思っていたからそう時間はかからなかったが……。それと、僕が宴会に姿を見せないのは単純にそういう場では大概誰かが怪我をしており、そうなると医務室がひっきりなしに稼働してるからだ」
サンソンの遠回しな言葉に、ロビンは気まずげに頬を引っ掻いている。そんな表情に笑ってしまいそうになるのを我慢して、サンソンはロビンの手の中にあったグラスの縁に自身の指を置いた。グラスを持つロビンの手が少し震えたような気がしたが、サンソンは彼からそのグラスを拝借した。
鼻を少し動かせば、確かに甘い匂いが漂う。そのままゆっくりとそのグラスを唇にくっつけて傾ける。一瞬で口の中に広がる濃厚なチョコレートの中に混じる確かなアルコールに、これは、とサンソンは思わず眉を顰めた。全てを飲み干してすぐに空になったグラスを指差しながら隣の男に指摘する。
「ロビン、これは一般的な女性相手だと度数が強くないかい? 飲みやすいから騙されてしまうだろうけど」
そう言ってからすぐにサンソンは「……その為か」と気付き、カウンターにグラスを置いた。勝ちへの布石は村娘を口説く様なものだとよく口にしているのを思い出す。野暮な事を言ったかもしれないが、その様な策はあまり良い顔も出来ないし、強い酒を飲みすぎるのも医術的な面から考えても身体に悪いのは事実だ。
サンソンは唸りながらもロビンの返事を待つが、一向に何も返ってこない。おや、とロビンのいる方へと顔を向ければ、彼はカウンターにもたれかかっていた。
「ロビン?」
「…………アンタってほんと」
そのままずるずるとその場に座り込んでしまったロビンに、サンソンは慌てて同じくしゃがむと彼の脈拍を確認するためにロビンの手首の内側にそっと重ねた。
「脈拍が少し早いな。……ロビン、念の為に顔を見せて欲しい」
「嫌です」
「どうして」
彼の両頬に手を置きこちらに向いてもらおうとしたが、彼は逆にいつの間にかマントを取り出してそれを被ろうとする。宝具を使用してまでなのか、と内心焦っていた所だった。
「ギロチン絶頂野郎、分からないのか?」
頭上から聞こえてきた歌うような笑い声に、サンソンはおもわず舌打ちをする。
「アマデウス。今、僕の名前を何か腹立たしい呼び方で呼んでなかったか?」
「なんでそんなのには気付いて肝心な事は分からないんだい? 例えば、君、久しぶりに僕と出会ったとするだろう? するかい? ビズ」
アマデウスと頬と頬を引っ付かせキスを送る自分を想像しようとしたが全く頭に浮かばなかった為、サンソンは逆に「は?」という呆れの声しか出てこなかった。
「しないが?」
間髪入れずに答えたサンソンにアマデウスも同じ気持ちだけどさとぼやきながら、楽しげに指を振る。まるで指揮棒を振るような仕草に、サンソンは黙ったままでいると「さて」と演奏をやめてアマデウスはロビンを見下ろした。
「どれだけ仲がいいとしても引かれているであろう線ってのがある。その境界線を彼には易々と許したのは何故か? 普段は飲まないようなカクテルを持ち出してまで声をかけたのはどうしてか? 流石にここまで来たら考えられるんじゃないのかな?」
そこまで言い切った後にアマデウスは鼻歌を歌い始めながら、場を離れた。おそらく飽きたのだろう、サンソンはその後ろ姿を確認する事はなかった。ただ、即興で出来たメロディーにしても相変わらず美しい音だ。頭にいつまでも残りそうなその音を聴きながら、顔を見せようとしないロビンの様子を見つめていた。お互い何も言わずにいた所で、ロビンがマントを脱ぐとそのままサンソンに被せる。
サンソンはおもわず目を見開き、ロビンの顔を覗き込んだ。彼の整った顔は随分と赤に染まっていて、目元は細く細くなりながらも美しいその木漏れ日は変わらずサンソンを映していた。唇を噛み締めながらロビンは「あーあ」とぼやく。煙草を探しながら、それから何かに呆れたようにサンソンの頬に手を置いた。
「いまオタクの顔直視出来ねえんで。……絶対それ外すなよ」
皐月の王に身を包まれた今や、サンソンの姿は誰にも分からない。
ロビンだけがサンソンの姿を知っているのだ。
しばらく煙草を探していたが結局見当たらなかったのか、ロビンはカウンターに頭をこつんと軽く置くと小さく鎮魂歌を歌う。
「――オレ、オタクの墓をちゃんと作れなかったんですよね。石に名前でも掘ってやればよかったけど」
その歌にサンソンは首を横に振った。
七日間の魔女裁判。その中で、サンソンは死刑を執行されたそうだ。再召喚されたサンソンはカルデアのデータベースに残された記録だけを見る事しかできなかった。その死への弔いをロビンと共有できる日はこないだろう。
「もし墓から僕が湧き出てきたとしても君はきちんと埋めてくれるだろう? そんな君だから、僕は安心して任せたのだと思う。……善良な君にひどい事をさせたのは分かっているけどね」
――もし、ここがその死の先の地獄だったとしても。
サンソンは微笑んだ。
「石に名前を掘らなくてもいい、ロビン。君が僕を埋めてくれたならそれで充分だ」
ロビンは何も言わなかった。
ただ、サンソンの事を抱き止めるだけだった。
周りの騒めきはどこにもなくて、ロビンの息遣いだけがサンソンの耳を支配する。それがひたすら心地よかった。
「もし今度アンタが死んだとしても。その時は墓を掘り返すからな」
この地獄は優しすぎるのだ。ロビンの背中に腕を回し、サンソンは頷いた。
二人ともなく顔を見合わせ、それから唇を重ねる。何度も繰り返し、そして彼の舌がサンソンの唇を突くから「これ以上は駄目だ」とノーを突き付ければ瞬間に抱き抱えられていた。
「……逆にこれ以上、我慢させんなよ」
アンタだって分かるでしょうが。そう低く呟くロビンの舌からは先ほど飲んだカクテルの味がするのだと言う事をふと思い出し、サンソンはロビンの頬にキスを落とす。
ああも甘く飲みやすければ幾らでも飲めてしまいそうだ。そして気づいた時には思考はどこかに置き去りになっているだろう。そんな毒のような、甘い罠の味をその舌に秘めている。
――死の先は、どうしようか。
それ以上はまだ見ぬふりをして、サンソンはロビンの首元に顔を埋めた。
「……あまり困らせないでくれ、かわいいコマドリさん」
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