どっか行かないで流れ星
「おお、平助じゃねえか。何にする?」
本日のキッチン担当であるビーマに声をかけられ、平助はぱちと目を丸くした後に一礼する。すっかり名前を覚えられてしまった様でその原因の顔を思い浮かべながら、あの、と平助はカウンターのメニュー表を見ながら注文を始める。
「今日はカレーあるんですよね」
「あるぜ。今日のは自信作だ! 一つでいいか?」
眩しいぐらいの笑顔で数を尋ねられ、口籠ってしまったがすぐに首を横に振った。ん、とビーマは周囲を見渡している。連れの客は見当たらず、けれど一人分ではない。ああ、と彼はすぐに理解をした様子だったが、反対に平助の顔には熱がこもっていくばかりだ。
――ビーマに名前を覚えられる理由は明白だった。食堂に来て迷わずカレー類を飽きずに注文し続ける左之助の隣によくいたものだから、カウンター越しに会話をすることが増えたからだ。また実際にその様子に遭遇した事はないが、ランサークラスで召喚された面子の飲み会が定期的にあるそうで、左之助も時々出席しているらしい。あの男が酒の場でどの様な話をしているのかは詳しく聞いたことはないが、パールヴァティーにはすれ違うたびに「藤堂さん、また今度原田さんと一緒にご飯食べに来てください」と微笑まれている所から察するに平助の話題が出ているのは間違いないだろう。
その為こうして名前を覚えられて、その上気軽に話しかけられるのは気恥ずかしい。そして今から口にする事は、恐らく酒の場での左之助を調子に乗らせるようでもっといやなのだ。けれども、自分の羞恥心と左之助を天秤に掛けたら、後者がどうにか勝利するぐらいに平助は平助なりに彼の事を好いていた。
そう、好いている。例の特異点以来、生前よりも二人で話をすることが増えた。互いの事をすべて理解し合ったわけではないが、それでも彼が隣にいるとほんの少しだけ呼吸がしやすい気がして――平助にはそれだけで十分の理由だった。
左之助はどうなのだろう。鉄仮面とは言わないがどうにも無表情で何を考えているからわからない。それが、左之助に対しての大半の人間の評価だった。平助といる時もそうだ、相変わらず顔色は変えずに時々口元を動かしたり眉の角度が変化したりと、その程度の表情の変化しかない。けれど、左之助にとっての『その程度』は大きな変化であることも知っている。
――恋仲になりたいなどと大それた事を考えているわけではない。そのような資格が、平助にある訳がない。
それでも、と平助はゆっくりと息を吸った。ビーマに向かって緩やかに微笑みを浮かべ、指を二本立てて見せる。
「カレーをお持ち帰りで。……二つ」
サーヴァントを強化するのに必要な素材を各特異点にレイシフトし、敵を倒して獲得する。
言うだけなら容易いが、これが中々の労働だ。苦労する様な敵が出てくる訳ではないが、長時間延々と敵を倒し続けなければならない。今日はそのメンバーに抜擢されたらしく、彼がカルデアに戻って来たのは皆が寝静まっている程の深夜だった。こんな夜中だ。音を立てないように注意を払っていた様だが、流石に身体は疲労困憊しているのだろう。かつん、と靴の足音が一瞬大きく響いたのを合図に平助は横になっていたベッドを飛び降りて、冷蔵庫から持ち帰り用の容器に入れてもらったカレーを二つ取り出して左之助の部屋へと向かう。
部屋には好きに入っても構わないと許可は得ているが、念のためにドアを軽く叩く。けれど反応は無かったので、躊躇なく部屋に入ると持参したカレーをテーブルの上に置いてベッドで項垂れている左之助の元へと向かった。
「原田さん、起きてください」
左之助の身体を揺すると、彼は長い前髪で隠れている瞼を開き薄目で相手を確認している様だった。直ぐに平助だと気付くと、顔を上げて気まずげに髪をかき上げている。
「……悪ぃ、気付かなかった」
「いえ……流石に疲れてますね? 今日は何周したんですか?」
「あー……マスターは一五三ぐらいとか言ってたな……」
気が遠くなりそうな数字だ。しばらく林檎を見たくないとぼやく背中に何を言えば良いか分からぬまま、平助はシャワーブースへと向かって液晶を操作する。電源が起動してお湯の温度が表示されたのを確認して、左之助へと振り向いた。
「明日は休みにしてもらってるんでしょう? 寝たい気持ちも分かるけど、せめてシャワー浴びて下さい」
「ん。……なあ、平助。これ」
ベッドから降りて来た左之助は机に置いた陽気に気付いたようで首を傾げている。平助はバスタオルを用意しながら、電子レンジを指差した。あのインドの英雄が作るカレーがお気に入りなのは知っている。持ち帰ってからだいぶ時間が経ってしまい本来の味ではないかもしれないが、文句どころかお礼を言われてもいい筈だ。そんな打算で持ち帰って来たわけではないけれど、どうも落ち着かないのだからこんな言い草になっても仕方ないだろう。
「カレーです。どうせ食事もままならなかったでしょ、原田さん達」
「助かる。流石に林檎だけ食ってたらキツい」
左之助がここまで言うのは珍しい。大体のことはけろっとした顔でこなしてしまう男がこぼした言葉に、寄り添うとまでは行かずとも労うことは出来るはずだ。
食事か風呂かと悩む姿を横目に平助は部屋に置いてあるコップを二つ持ち出して机に並べていく。左之助はその平助の行動に目を細め二つ並ぶカレーを黙示してから口を開いた。
「平助、食べてねえのか? お前、今日は非番だっただろ」
「別に。サーヴァントは基本食事なんて必要ないでしょう。……だから、食事を摂る時間が遅くなったってあまり変わりないし。一人で食べるよりかは原田さんと食べた方がゴミ捨てるのもまとめられていいし」
左之助の疑問は尤もであった。食事を済ませているどころか本来なら就寝していても可笑しくない時間になっているというのに、わざわざ左之助と共に食事をしようとずっと待っていた様に見えるではないか――実際その通りなのだが。
左之助を見ずに言い訳を連ねていたが相手はなぜか黙り込むので沈黙が訪れる。どうしてもこの静かな空気に耐えきれず、平助はカレーの入った容器を二つとも電子レンジへと持っていきそのまま力一杯扉を開いて中へと無理やり押し込んでスタートボタンを押した。
「ほら、温めておくんで。あんたがシャワー浴びてる間にちょうど良い熱さになると思うし。入って来てください」
その間に平助の頭も丁度よく冷めてくれるのを祈るばかりだ。それでも何も言わない彼に、流石に不安を覚える。疲労のせいで倒れてしまったのではと振り返って、ぶつかった視線の炎におもわず身構える。
「平助」
――逃げなければ。
心の中に湧き上がって来たその言葉のままに左之助の伸びてくる腕を避けようとしたが、見越していたのか瞬時に取り出された槍先が平助のジャケットを貫いて壁に突き刺さる。壁を貫いたため破片は勢いよく飛び、左之助の頬を掠っていった。上半身は縫い付けられたがまだ右足は自由なままだ。平助は左之助に向かって躊躇なく義足で蹴り込もうとしたが、相手は左之助だ。平助の戦い方など分かりきっているからこそ、同じく足を上げて平助の義足を叩き落とす。
がつんと硬い音が部屋に響き、左之助は声を荒げた。
「……いっ、てぇな!」
「鉄の塊にそれだけ全力で蹴れば痛いでしょうね! いや、それよりも、いきなりなんでこんなことを!」
仲間同士――などと思う事は烏滸がましい。それでもあの特異点のデータベースを確認し、もう一度一人でも歩いて行こうとした時にこの男が微笑んでくれたことを忘れることはないだろう。それなのにどうしてこんな事をするというのだ。やはり平助は許されないのだろうか。ぐっと左手で拳を握っている間に、平助の前へとやって来た左之助は無表情のまま平助の顎をその傷だらけの手で無理やり上げさせる。
藤堂くんは真っ直ぐすぎるからね。
ふと、甲子太郎についていくと決意した日の事を思い出した。
――ああ! 勿論、それは君の長所だ。ただ、その真っ直ぐさゆえに、いつか折れるんじゃないかと思うよ。杞憂かもしれないけれどね。ま、僕らもいるし。
目を瞑れば師と慕った人の顔が過る。散々新選組を裏切り者だと罵った上で、恥知らずに浅葱の羽織を纏う自分にその名前を呼ぶ資格はあるのだろうか。それでも、平助は時折この名前を口にしてしまうのだ。
あの人はどう思うだろう。呆れ果てているだろうか、失望しているだろうか、平助にはきっとかの人の真意は分からぬままだ。それでも、半端者である平助のことを自分以上にわかっていた上でそばに置いてくれた。
決意を押すように、勇気を得るために、何よりも己の祈りのために名前を呼ぶのだ。
平助を壁に縫い留めておきながら、まるで壊れ物に触れる様に恐る恐ると頬を撫でる左之助の手に唇を噛んだ。
「……伊東先生」
その名を唇で紡げば、彼の目は一瞬揺らいだ。その動揺の瞳を平助は一度だけ見たことがあった筈だ。
いつだっただろうか、この人はいつも変わらぬ顔で槍を振るって死損ねたと酒の話にする人だから、こんな風に戸惑う顔は滅多に見せるものではない。あれは池田屋だっただろうか、否、池田屋で失態を見せたのは平助であり彼は応急処置をしていた。常と変わらぬ顔で、これぐらいなら死なねえからと発破をかけてくれたのを覚えている。では、これはいつの記憶なのだ。
揺らいだ水面は一瞬で消えていき、そして見えたのは何も分からぬ男の唇だった。
「平助」
かさついた唇が触れる。触れて、そして感触を確認するためだけに軽く甘噛みされた上唇の痛みに平助は理解した。唇がこの人によって食いちぎられていくのだ。どうしよう、うれしい、どうしよう、けれど。遠くで自分が叫んでいる。
――それは、だめだ。
平助は左腕に魔力を込める。左之助が急激な熱に気付き逃げようとするが、今度はそれを制止するのは平助の番だ。左之助の足を思い切り蹴り上げて逃げ出すためのほんの一拍分、遅延出来たら十分だった。
左之助の腹の傷を目印に、左手を思い切り打ち込む。そのまま魔力を暴発させるために平助は目を見開いた。
「――このままっ、爆ぜろ!」
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