悪い子のおいた
――自室に布団の妖怪が爆誕していた。
食堂で持ち帰ったおにぎりを一旦机の上に置き、その妖怪の目の前にあぐらをかく。妖怪は敷き布団の上に正座して、掛け布団を頭から被った状態でこちらの様子を伺っている様だった。布団の隙間から垣間見える表情は戸惑いと羞恥が半々といった所だろうか。さてと左之助はこの妖怪を眺めてしばらく対応を考えてみたが、生真面目で賢いこの男が何を思ってこうなってしまったかなどは直接聞いた方が早いだろう。昨夜のうちに枕元に置いたミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばし、キャップを回しながら確認を取った。
「で、この座敷童子はどちら様で」
「……僕は二十三だ。童じゃない」
布団の妖怪もとい恋仲の男は頬を引き攣らせて布団からひょっこりと顔を出す。常から癖っ毛の髪が起床したばかりだからかあちらこちらに跳ねており、鳩の巣と化していた。おおとおもわず感嘆の息を吐きまじまじと見つめていると、平助がまた布団を被ろうとする気配を察知して観察するのを左之助は止めることにした。
けれども、屯所にいた頃は互いに幹部として忙しなく過ごしており相手の寝起きの顔なんて見たことはほとんど無かったことを思い出せば、この鳩の巣の様な寝癖も不思議なことに愛らしく見えてくる。
ぴょこんと天井に向かって立ち上がらんとしている後頭部の毛を見る限り、シャワールームから出て来た平助の濡れた髪を丁寧に乾かしたつもりであったが充分では無かったようだ。今思い返せば、左之助は気が急いていた。その一言である。
――けど、気が急くのは仕方がないだろ。そう頭の中でもう一人の自分が囁いている。左之助はそんな自分をどうにか黙らせキャップを外した状態のペットボトルを平助の前に見せると「飲めるか?」と尋ねた。おずおずと布団を肩に引っ掛けている状態で平助は手を伸ばし、そして――彼の手は力なく膝の上に落ちていった。
「原田さん」
平助が呼ぶ名前も心なしか元気がない様に感じる。声も些か掠れていたように聞こえ、目を細めながら平助の表情を覗き見る。目元は泣き腫らしたのか赤くなっていて、なんてひどい男がいたものだ、と我ながら責めてしまいたくなった。
左之助は「ん」と頷き、平助の膝の上にある右手に触れる。ぴく、と平助の身体は身動ぎ、座ったまま後退りをしようとするので、左之助は平助の手を逃さない様に自身の指を絡めていく。人差し指で平助の指を軽く引っ掻くと、彼は「や、です」と声を振り絞った。
(逆効果なんだよな、それは。男心からすれば)
己の唇が無意識に弧を描いていく。彼の右手を離さぬように指をからませていくのと反対に、平助はいやいやと首を横に振って後ろへ後ろへと逃げようとするのだ。その攻防を繰り返している間に平助の身体は左之助の力と重力に逆らえずに布団の上に寝転がる形となる。
「平助」
昨夜この真っ白なパジャマを着せたのは己だが、それをこんな数時間の間で脱がす羽目になろうとは。あまりにも青すぎる自分に我ながら恐ろしさすら覚えていた。鎖骨の下に見える紅斑にすら妬みを抱きそうだ――つけたのは昨夜の自分だが。
そのまま彼の唇に噛みつこうとしたが、それよりも先に自分を睨みつけながらおもいきり頭突きをくらわせて来たのは平助だった。その素早い動きにどうにか避けようとしたが間に合わず、顎におもいきり平助の額がぶつかる。
「っ、平助!」
「原田さんが悪い、んですよ!」
お互いそれなりの痛みがあったからか呻きながら鈍痛が起きている場所を撫でていたが、どうにか身体を叩き起こした平助はいつの間にやらまた布団を被ってしまった。天岩戸もかくやと言わんばかりに引きこもる恋人に天宇受売のように踊ってやるべきか、見せれるものは腹の傷ぐらいだがと眺めていると布団越しに平助のくぐもった声が聞こえてくる。ああもう、と忌々しげに叫んだ後にもう一度「原田さんが悪い!」と念押しをされた。
左之助は頬杖をついて「へえへえ」と平助の身体をぽんぽんと叩き甘やかすことしかできそうにない。布団の妖怪の退治の仕方はいくら忍びと言えど習ったことはないのだから。
「っ、腰から下のありとあらゆる場所が痛いです!」
「つまり初夜って事でいい?」
一が最近のお気に入りであるカップそばを持って来たのは午後一時半の事であった。部屋の中には最低限のものは揃っており、ケトルもそのうちの一つだ。湯を沸かすのにものの数分で終わると言う現代機器には顕現当初は驚かされてばかりだった。
カップそばを左之助に手渡した後は布団に寝転んでいる平助の顔を覗き見しようとしたのだろう、枕が豪速球で壁に直撃したのを視界の隅で確認して左之助はかやくを破りながら一に声をかけた。
「今の平助、瞬間湯沸かし器かってくらい気短いっすよ」
「それもっと早めに言ってくれない? おーい、藤堂。そばは食べれる?」
芋虫の如く布団の中でゆっくりと身体を仰向けにして片手だけで器用に起き上がった平助は、一の顔を確認して苦虫を噛み潰した顔で項垂れた。この時刻になってもパジャマ姿である自分をよりによってこの人に、と言わんばかりの顔だ。平助は表情でよくわかる――とは言っても、彼と親しい人間にとってはだ。
一はそれ以上彼に声をかけず畳の上からさっさと降りて、左之助の隣にやってくる。
「斎藤さん、助かります。飯どうっすかなって話してた所で。今度そば奢らせてください」
ケトルからこぽこぽと音がし始めたのを合図にコップを三つ分用意してる隣で、一は椅子に座って手を振った。
「別にいいよ。マスターちゃんに聞いたから様子見に来ただけだし。あの石頭がどんな顔してるのかなぐらいの好奇心だったから」
「人を石頭呼ばわりなんて失礼しますね。長生きした分、礼儀とか抜け落ちました?」
そう言いながら平助が片足だけでこちらへと飛び跳ねながら近づいてこようとするので、左之助はため息をついて平助の右脇へと腕を入れるとそのまま持ち上げる。うわ、だとか、おろせだとか聞こえていたが、そう叫ぶ時間が無駄だと気づいた平助はあとは黙ってされるがままだ。大人しくしてくれていた方が左之助も気楽なものだから、毎度そうされてろと内心願っている。
平助の体幹は新選組の中でも随一だが、左手と右足がない状態で平気な顔をして歩くのは見ていて少し肝が冷えるのも事実だ。それに昨夜は無理をさせており、先ほどまで寝ていたものだから尚更である。松葉杖をネモナースから渡されているが「外している時間の方が少ないでしょう」と言って使用する気もなく部屋の隅で置物と化している。平助の臀部を手のひらで支えたところで一が苦笑いを浮かべて「帰ろっかな……」とぼやいたのが聞こえた。
「いやいや。飯だけでも食べていってください。今日は非番っすか?」
「そうそう。二人のこと新八が気にしてたけどあいつに行かせると気まずいかなと思って僕がきた訳。いや普通に僕も気まずいけど」
平助と顔を見合わせる。お互いに新八の顔を思い浮かべたのだろう。平助を椅子に座らせたところで、彼は右足をふらふらと泳がせながら唇を尖らせた。
「それなら斎藤さんで良かったと思いました。永倉さんに変に気を遣われるのは嫌なんで」
「まあ落ち着いたら顔見せてやんなよ。……にしても、原田、堂々とやり過ぎ」
カップそばに湯を注ぎ数分待つだけとなった状態で、一が選んだ会話は自分のことの様だ。隣の平助も左之助の事を見上げているが、一が何を言いたいかまでは分からないのだろう。左之助はさてと頬杖をつく。
予想はついているが、出来うるならば黙っていて欲しい。けれども、そんな事を斎藤一と言う男が許してくれるはずもない。聞いたよ、と先ほど水を注いだコップを手にしながら、いつものほんの少し何を考えているか分からない笑みをこちらへと向けるのだ。
「マスターちゃんにお願いして、三日間藤堂共々休みとこの部屋レンタルしたんでしょ? かかっただろ、QP」
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